公共的事業体における意思決定の多様体:情報幾何学という名の、財布を空にするペテン
諸君が「社会貢献」だの「公共性」だのという、砂糖でコーティングされた毒薬のような言葉を耳にするとき、その舞台裏では、お前が汗水垂らして稼ぎ、国に毟り取られた血税が、「意思決定」という名の巨大かつ旧式なシュレッダーにかけられている。役所や大企業の、窓のない会議室。そこは知性が集まる場所ではない。空調の音がやけに大きく響くその密室は、脳が半分死滅した老人たちが、互いの加齢臭と生存確認を行いながら、情報の熱死へと向かうエントロピー増大の儀式を厳粛に執り行う、薄暗い伽藍(がらん)だ。
彼らは何かを決めるためにそこにいるのではない。決まらないことを確認するために集まっているのだ。公共的組織における合意形成。それは、異なるベクトルを持つ意見を止揚し、高次の結論へと導く弁証法的なプロセスなどでは断じてない。個々の欲望や保身、あるいは稀に存在する若手の鋭利なスパイクを、コンクリートの床で削り落とし、誰も食いたくない、味もしない、栄養もない「ぬるい掛けうどん」を無理やり喉に流し込ませる、極めて暴力的で幾何学的なプロジェクション(射影)に過ぎない。
粘性:二郎系と胃もたれの地獄
この組織的な意思決定プロセスにおける「粘性」を理解するために、少し具体的な、そして胃が痛くなるような例え話をしよう。それは、ニンニクと背脂を限界まで増した二郎系ラーメンを生命維持のために渇望する若手社員と、朝食のバタートーストですら昼過ぎまで胃に残る理事長、そして「蕎麦こそが日本の魂であり、コシの強さは反逆の証だ」などと意味不明な持論を展開する頑固な課長が、たった一つの小さな丼をシェアしようとする不毛な行為に等しい。
彼らの議論は平行線をたどるどころか、互いの足を引っ張り合う泥沼のレスリングとなる。空腹を満たしたいという切実な生理的欲求は、会議という名の何重ものフィルターを通るたびに濾過され、漂白され、去勢されていく。そして数時間の罵り合いと沈黙の果てに、彼らが「全員の総意」として導き出す答えは何か。それは、麺は伸びきって箸で掴むことすらできず、出汁は湯で薄めたように頼りなく、具材はしなびたネギが一本浮いているだけの「ぬるい掛けうどん」だ。誰もそれを望んでいなかった。だが、誰もが「これで文句はないだろう」という顔をして、その汚水を啜るのだ。
この現象は、情報の多様体における曲率として冷徹に数値化できる。個人の意志が鋭い確率分布を描いていればいるほど、合意形成という平滑化処理によって失われるエネルギーは指数関数的に増大する。調整、根回し、忖度、事前のブリーフィング。これらの生産性ゼロのプロセスは、スマホのバックグラウンドで蠢く、削除不能なプリインストールアプリの通知設定のようなものだ。大して重いアプリを動かしているわけでもないのに、裏で無数のプロセスが暴走し、CPUを空転させ、本体を不快な温度まで加熱させる。もしお前が、断線しにくい頑丈な充電ケーブルで常に電力を供給していなければ、この組織という名のデバイスは瞬く間にバッテリーを食いつぶし、シャットダウンするだろう。その熱は、何も生み出さない。ただお前のポケットを熱くし、低温火傷のような不快感を煽り、バッテリーの寿命を縮めるだけだ。
曲率:行列の割り込みと、20万円のインクの通り道
情報幾何学の世界では、情報の変化の度合いをフィッシャー情報行列というメトリック(計量)として定義し、空間の歪みを測る。組織における「持ち回り決裁」や「事前協議」という時間は、この幾何学的な歪みを矯正しようとする無駄な足掻きに他ならない。意思決定に関与する人間が増えれば増えるほど、その多様体の次元数は悪戯に膨れ上がり、最適解への最短パス(測地線)は複雑にねじれ、最終的には消滅する。
それは、スーパーのレジ待ちで起きる悲劇に似ている。お前は急いでいる。だが、前の客は財布の底から一円玉を探し始め、レジ係はバーコードの読み取りに失敗し、隣の列では割り込みが発生する。この時、お前の脳内で発生する「殺意」にも似たストレス。これこそが空間の曲率だ。真っ直ぐ進めば30秒で終わる会計が、歪んだ空間のせいで永遠のように感じられる。
公共的事業体における「責任の所在を曖昧にする」という生物学的本能は、この多様体に無限のノイズを混入させる。意思決定者が多ければ多いほど、その解は「何もしないこと」への収束を速める。連中ときたら、お前の年収の数倍、あるいはそれ以上もする20万円もするプラチナ万年筆をこれ見よがしに握りしめ、誰の記憶にも残らず、何の価値も生み出さない書類に、さも国家の命運を左右する重大な決断を下したかのようなしかめっ面で署名するのだ。そのペン先の輝かしいゴールドは、ただのインクの通り道として、国家の時間を、お前の有限な寿命を、空転させている。その光景は、もはや喜劇ですらない。極めてタチの悪い、強制徴収型のエンターテインメントだ。
お前が必死に働いて稼ぎ、なけなしの小遣いで買った安酒で憂さを晴らしている間にも、彼らはその金で「歪んだ空間」を維持するための潤滑油を買っている。その不合理を幾何学的に記述すれば、それはもはや滑らかな多様体などではなく、無数のトゲが突き刺さり、触れるだけで指先から血が流れるゴミ溜めのような形状をしているはずだ。
散逸:生理的な安堵という名の脳内バグ
結局のところ、会議の終わりに彼らが抱く「納得感」や「団結」といった感傷的な代物は、システム論的な視点から見れば、単なる神経科学的なバグに過ぎない。組織が合意に達した瞬間の、あの安堵感。それは最適解に到達した知的な喜びではなく、情報の不一致から生じる脳内の摩擦熱が、ようやく「散逸」し、オーバーヒートしかけた脳味噌が冷却されたことによる、下等な生理的快楽なのだ。
真夏の猛暑の中、壊れたエアコンの効かない部屋で数時間耐え忍んだ後、ようやく外に出て、生ぬるいドブ川の風に当たった時に感じる、あの程度の安らぎ。それを彼らは「達成感」と勘違いしている。
熱力学第二法則は冷酷だ。組織が秩序(合意)を生み出そうとすればするほど、その代償として周囲には膨大な無駄(廃熱)が撒き散らされる。いつまで経っても終わらない道路工事、申請するだけで半日潰れる煩雑な手続き、中身のない電話帳のような厚さの報告書、そして深夜まで明かりが消えない役所の窓。これらはすべて、意思決定というエントロピー減少プロセスが排出する有毒な「排気ガス」だ。私たちはその毒ガスを吸い込み、吐き気がするのを堪えながら、今日も「社会の一員」を演じ、納税という名の高額な入場料を払い続けている。
神経細胞の発火パターンを解析すれば、合意形成中の彼らの脳内は、まるで断線しかけた安物のケーブルで無理やり電力を流されている回路のように、ノイズとスパークで満たされていることがわかるだろう。そのノイズを「民主主義的プロセス」や「丁寧な対話」と呼び変えて正当化する連中の厚顔無恥さには、殺意すら追いつかない。
情報幾何学的な最適化を目指すなら、答えは明白だ。人間という不確定で感情的な「ノイズの塊」を回路から物理的に排除し、純粋な数理モデルに委ねるべきだ。だが、それでは彼らの「働いているふりをして高給を得る」という既得権益を奪うことになる。彼らの存在意義そのものが消滅してしまう。だからこそ、彼らは今日も歪んだ多様体の上で、ゴールなき議論という名のマスターベーションを続け、情報の熱死を加速させるのだ。
さて、この支離滅裂な「ぬるい掛けうどん」の代金を、誰が払っているのか。それを考えるのは、また別の日の、もっと悪趣味な時間にしよう。お前の財布は、もう既に軽くなっているのだから。
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