昨日の講義で、我々がいかにして「有意義な休日」という強迫観念に追い詰められ、空虚な時間を浪費しているかを論じたが、今日はその地獄の門をさらに一段降りてみよう。すなわち、諸君が人生の起きている時間のあらかたを捧げている「労働」についてだ。毎朝、家畜運搬車のような満員電車に揺られ、他人の呼気に混じる胃液の臭いに耐えながら、諸君は職場へと向かう。吊り革を掴むその手は、何かを掴み取ろうとしているわけではない。ただ、社会という巨大なシステムから振り落とされないように、必死にしがみついているだけだ。
諸君は、履歴書を更新するたびに、あるいは職務経歴書に新しいプロジェクトの成果を書き加えるたびに、自分が何者かへ近づいていると錯覚しているようだが、それは単なるデータの肥大化に過ぎない。キャリアを「積み上げる」という表現自体が、重力に縛られた農耕民族的なバグと言える。実際には、諸君が行っているのは墓石に刻む文字数を増やしている作業と何ら変わりがない。
市場という名のドブ板営業
書店に行けば、ビジネス書の棚には「リスキリング」だの「コア・コンピタンス」だのといった、極彩色の毒々しい装丁の本が並んでいる。あそこに書かれている言葉は、要するに「売れ残りの蕎麦」に何をトッピングすれば高く売れるかという、露天商の浅ましい算段と変わらない。人事コンサルタントどもが撒き散らす「市場価値」という言葉の響きに騙されてはいけない。あれは、君たちを効率よく消費するためのタグ付けに過ぎないのだから。
今の流行りは、全部乗せの「二郎系」的な人材らしい。プログラミングができて、英語が喋れて、さらにマネジメントの経験もあり、財務諸表も読める。結構なことだ。だが、情報の熱力学的な視点から言えば、変数を増やせば増やすほど、その個体(システム)の自由度は増し、結果として決定的な出力の精度は下がる。何でもできるということは、何者でもないという確率分布の平坦化に他ならない。
多くの労働者は、トッピングを盛りすぎて、自分が本来何味のスープだったのかを忘れてしまった「全部乗せの残骸」のような状態だ。丼からはみ出すほどのモヤシと背脂、そして強烈なニンニクの臭い。それらを見て諸君は「ボリュームがある」「価値がある」と錯覚し、胃もたれするような自己啓発を貪る。しかし、その中身はどうだ。味が混濁し、焦点が定まらず、ただカロリーが高いだけの不健康な代物だ。それなのに、連中は自分の「市場価値」が上がったと信じて疑わない。駅前のマクドナルドでスマイル0円の労働を嘲笑しながら、自分自身がいつでも代替可能な部品であることを忘れている。滑稽極まりない。
幾何学の牢獄
結局のところ、労働市場とは、無数の確率分布が蠢く「統計的多様体」なのだ。君たちのスキルセットは、その多様体上の一点に過ぎない。新しい資格を取るたびに、その点は空間内を移動するが、移動した先が「豊かさ」に直結している保証はどこにもない。なぜなら、市場という空間自体が、凄まじい曲率を持って歪んでいるからだ。実感としては、それは果てしない泥沼のように感じられるだろう。
我々が「あの人は仕事ができる」と評価するとき、それは単にその個体が市場多様体の曲率が急峻な場所、つまり「情報密度が高い場所」に偶然居合わせたことを意味しているに過ぎない。フィッシャー情報行列を計算すれば、君の努力がいかに空疎な座標移動であるかが明白になる。ある特定のスキルに固執することは、多様体上の行き止まり(特異点)に向かって全力疾走しているようなものだ。
例えば、オフィスの片隅で、この30万円以上もするアーロンチェアに鎮座して、必死にキーボードを叩いている御仁を見たまえ。彼は腰痛を回避し、人間工学に基づいたメッシュ素材に尻を預けることで、生産性を最大化し、多様体上のより「高み」へ行けると信じている。だが、物理法則は無慈悲だ。椅子がどれほど高機能であろうとも、彼が生成している情報の価値が、市場の曲率によってゼロへと収束していくのを止めることはできない。高価な椅子に座って、安価な記号を量産する。この非対称性こそが、現代労働の真髄と言えるだろう。
また、君が他人と差別化を図ろうと、必死にモンブランの万年筆を走らせてメモを取ろうとも、そのインクが乾く前に、市場の潮流は君の努力を「古いデータ」として上書きする。情報の幾何学において、距離とは「識別しやすさ」である。差別化のために移動距離を稼ごうとすれば、それだけエネルギーが必要になる。つまり君の寿命という名のコストだ。スマホのバッテリーが充電を繰り返すたびに最大容量を減らしていくように、君たちの神経系もまた、過剰な情報の入出力によって摩耗していく。眼精疲労、慢性的な肩こり、不眠。これらはすべて、無理な座標移動に対する生体からの悲鳴だ。
熱死への行進
ここで熱力学の出番だ。スキルとは、ある種の「負のエントロピー(ネゲントロピー)」である。秩序だった知識や技能。だが、これを維持するには絶え間ないエネルギー注入が必要になる。放置すれば、知識は風化し、技術は陳腐化する。諸君が「キャリアアップ」と呼んでいる現象の正体は、増大し続ける周囲のエントロピーに対して、必死に穴の空いたバケツで水を汲み出している泥舟の作業だ。
汲み出すスピードが、浸水するスピードを僅かに上回っている間だけ、君たちは「成長」という心地よい幻覚を見ることができる。だが、忘れてはいけない。宇宙の全エネルギーが均一化される「熱的死」に向かう流れは不可避だ。市場もまた、いずれは飽和し、あらゆるスキルはコモディティ化し、多様体は平坦な荒野へと回帰する。その時、君の手元に残るのは、使い古された知識の残骸と、ストレスでボロボロになった胃袋だけだ。
AIという名の巨大なプレス機が、君たちの専門性を紙屑のように粉砕し始めている今、効率化や自己実現などという言葉は、ノイズを信号と思い込んでいる神経回路のバグに過ぎない。我々が労働を通じて行っているのは、自分という脆弱な情報の器を、市場という巨大な計算機に最適化させようとする、涙ぐましいフィッティング作業だ。その過程で、個人の「意志」や「感情」といったものは、計算誤差として切り捨てられる。
情報幾何学の冷徹な座標系において、君の涙に割かれる次元は存在しない。この椅子は相変わらず座り心地だけはいいが、私の腰にかかる重力定数を1ミリも変えてはくれないし、君たちの人生にかかる不条理な圧力も減らしてはくれない。そろそろ次の「無価値な座標移動」の時間だ。君たちも、せいぜいエントロピーの増大に抗って、自分という名のゴミ山にさらなるトッピングを積み上げ続けるがいい。
では、失礼。
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