徒労の熱力学

朝、のエントロピー増大

朝、目が覚めた瞬間に感じる口の中の不快な粘つき。あれこそが、寝ている間に体内で処理しきれずに蓄積されたエントロピーの物理的な具現化だ。我々は毎朝、歯を磨き、顔を洗い、カフェインという名の化学物質を脳髄にぶち込むことで、どうにかこの「崩壊に向かう自然の摂理」を一時的に押し留めているに過ぎない。生きるとは、本質的にこの絶望的な抵抗運動の繰り返しであり、労働とはその抵抗を社会的な規模に拡大しただけの、巨大なエネルギーの浪費プロセスである。

満員電車に揺られながら、周囲を見渡してみればいい。そこにあるのは、知性ある人間たちの集団ではない。重力に引かれて低いエネルギー準位へと落ち込もうとする肉の塊たちが、互いに反発し合いながら熱を発しているだけの、密閉された圧力釜だ。この不毛な移動自体がすでに、都市という巨大な系における熱死への序章なのだと気づいた時、貴様は次の駅で降りる気力を失うだろう。

散逸構造としての「会議」、あるいはDAOという名の泥沼

組織論を語る連中が好んで使う「アラインメント」だの「シナジー」だのという言葉は、物理学的に言えばすべて欺瞞だ。組織とは、放っておけば瞬時に崩壊してノイズの海へと還元される不安定な「散逸構造」に他ならない。その形状を維持するためだけに、我々は膨大なカロリーと精神力を「会議」という名の儀式に注ぎ込み、無意味な合意形成という幻想を作り出している。

昨今もてはやされている自律分散型組織(DAO)など、その悪夢の最たるものだ。「リーダー不在の民主的な意思決定」といえば聞こえはいいが、それは単に「低エントロピーの供給源」である強力な指導者を排除し、意思決定という高負荷な演算処理を末端の個々人に分散させただけの、極めてエネルギー効率の悪いシステムである。

Discordの通知音を聞くたびに、貴様の脳内では何が起きているか。本来なら無視してもよい些末な情報——誰かの感情的な投稿や、決定事項の変更、あるいは単なるスタンプの応酬——を、いちいち「自分に関係があるか」判定するフィルタリング処理を強いられているのだ。これは、静かな図書館で読書をしている最中に、隣で延々と道路工事の削岩機の音が鳴り響いているようなものだ。情報の非対称性を埋めるという大義名分のもと、貴様の認知リソースは秒単位で削り取られ、夕方になる頃には「判断」という機能が完全に焼き切れた廃人と化す。

自由になれると思って飛び込んだその場所は、上司という名のフィルターが機能しなくなったせいで、生のノイズが直接脳髄に流れ込んでくる情報の掃き溜めだったわけだ。結局、我々は「自律」という言葉に酔いながら、責任の所在が曖昧な泥沼の中で、互いの足を引きずり合っているに過ぎない。

知能による「意味の去勢」

そこにきて、この世界を覆いつくしつつあるアルゴリズムの群れだ。奴らは確かに優秀だ。人間が数時間かけて捻り出すような文章やコードを、ほんの数秒で生成してのける。だが、勘違いしてはならない。奴らが行っているのは「思考」ではない。膨大な過去のデータから、統計的に最も摩擦の少ない、つまり「最もありふれた正解」を出力しているに過ぎない。

AIが生成した美しく整った要約を読まされる時、我々は情報の「栄養素」を抜かれた搾りかすを食わされているのだ。本来、情報を理解するという行為は、咀嚼し、飲み下し、胃袋で消化するという苦痛を伴うプロセスのはずだ。その過程で生じる「わかりにくさ」や「異物感」こそが、脳に新たなシナプスを繋げ、意味を生成する源泉となる。

しかし、現代のテクノロジーは、その消化プロセスをすべて代行し、流動食のようにドロドロに溶かされた情報を我々の口に流し込んでくる。我々はそれをただ飲み込むだけ。そこには葛藤もなければ、発見の喜びもない。あるのは、ただ「情報を処理した」という既成事実と、思考停止したまま肥大化していく知識の贅肉だけだ。

結果として、人間はアルゴリズムの出力装置にぶら下がるだけの、受動的な周辺機器へと成り下がる。自らの頭で考えることを放棄し、最適化された答えをなぞるだけの人生。それは熱力学的に見れば、エントロピーが最大化した「死」の状態と何ら変わりがない。

脊椎という名の呪い

こうして精神的な熱死を迎えつつある我々が、それでも物理的な肉体を維持しなければならないという悲劇。重力に逆らって直立二足歩行を選んだ祖先の判断ミスを呪いながら、我々は一日十数時間、モニターの前で固まることを強要される。

腰椎のS字カーブが悲鳴を上げ、坐骨神経が痺れを訴える。その生物学的な限界をごまかすためだけに、我々は資本主義が生み出した拘束具に頼るしかない。15万、20万という、本来なら数ヶ月分の食費に相当する大金を、ただ「座る」という哺乳類として極めて基本的な動作を補助するためだけに、[アーロンチェア](https://example.com/item)のような重厚なメッシュと金属の塊に注ぎ込む。これを滑稽と言わずして何と言う。

だが、その高価な椅子に深く沈み込み、リクライニングを倒した瞬間に感じる微かな安らぎだけが、この過酷な労働環境における唯一の救済であるという事実が、さらに我々を惨めな気分にさせる。健康を買っているのではない。労働を継続するための延命措置に、自らの労働の対価を支払っているのだ。マッチポンプという言葉すら生ぬるい、完全なる徒労の循環。

効率化された組織で、最適化された情報を食み、高機能な椅子に縛り付けられて、我々は何を生み出しているのか?

何も生み出してはいない。ただ、宇宙の熱死を早めるために、少しばかり余分に熱を放射しているだけだ。
さて、このどうしようもない事実を忘れるために、今夜も冷えた液体で脳を麻痺させるとしよう。それこそが、人類に残された最後の、人間らしい非合理的な抵抗なのだから。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です