散逸する熱

前回、定年退職後に公園のベンチで一日中、直立不動の鳩を眺めている老人の「完全な平衡状態」について少し触れたが、どうやらその話が少しばかり感傷的に過ぎたようだ。翻って、現役のビジネスパーソン諸君が置かれている状況を見たまえ。それはもっと残酷で、もっと物理学的に滑稽で、救いようのないほどに熱力学的な地獄だ。

君たちが毎朝、家畜運搬車のような満員電車に揺られ、他人の呼気と整髪料が混ざった生ぬるい空気を吸い込み、Zoomの画面越しに空疎な進捗報告を投げ合っているあの時間。あれは、高尚なキャリア形成などではない。ただの熱暴走だ。脂ぎった肌と擦り切れた胃壁を、組織という名の巨大なシュレッダーに放り込み、摩擦熱を発生させているに過ぎない。

すいません、ビールのお代わりを。……ああ、このジョッキの表面に浮かぶ結露。美しいね。だが、この安っぽい黄金色の液体もまた、私の内臓というガタの来た化学工場を通過し、肝臓でアルコール脱水素酵素による分解を受け、やがて温度を失った排泄物へと変換される。労働も、これと同じだ。食って、出して、熱を出して、死ぬ。我々は、そのサイクルの回転数を競っているだけの哀れなモーターだ。

代謝の泥沼

イリヤ・プリゴジンという男がいた。「散逸構造」の概念でノーベル賞を取ったが、要するに彼は「生命や組織が秩序を保つには、絶えずエネルギーを食って、ゴミを捨て続けなきゃならない」と言ったんだ。高尚に聞こえるが、これは我々の日常がいかに自転車操業であるかの証明に他ならない。

世間では「やりがい」だの「自己成長」だの「チームビルディング」だのと、耳障りのいい言葉が飛び交っている。だが、その正体は何だ? 物理的な実体として見れば、外部から給料という名の燃料(低エントロピー)を放り込まれ、それを燃やして、ストレスという名の有毒ガス(高エントロピー)を周囲に撒き散らしているだけではないか。組織というシステムを維持するために、君たちは常に新しい「エサ」を必要とする。それは顧客からの理不尽な要求であり、上司からの「期待しているよ」という、吐き気のするような脳内麻薬だ。

滑稽なのは、効率を上げれば上げるほど、君たちが放出する「熱」──つまり疲弊と絶望──は増大するということだ。スマホのバッテリー劣化を思い出せばいい。最近の機種は高性能だ。だが、急速充電を繰り返し、バックグラウンドで重いアプリを回し続け、常に通信を行っていればどうなる? 本体の背面はカイロのように熱を持ち、リチウムイオン電池の分子構造は不可逆的に崩れ、その寿命は加速度的に削られていく。

「仕事の効率化」というお題目は、皮肉にも、君という個体の熱力学的な死を早めるための、精巧な加速装置として機能している。タスク管理アプリでスケジュールを分刻みで埋め尽くし、倍速視聴で情報を脳に詰め込むたびに、君という個体のバッテリーは二度と戻らない膨張を始めているのだ。

馬鹿みたいに。

臨界と拷問椅子

さて、居酒屋の隅でこんな話をしても煙たがられるだけだが、最近のオフィス環境の過剰な「最適化」には呆れを通り越して、ある種の宗教的な狂気すら感じる。特に、肉体の悲鳴を道具で封じ込めようとするあの浅ましさには。

例えば、腰痛に悩む部下がボーナスを叩いて15万円もするエルゴヒューマン プロ2を自腹で購入したと聞いたとき、私は思わず噴き出したよ。アルミダイキャストのフレームに支えられたその椅子は、重力という物理法則から逃れるための装置ではない。むしろ、君をディスプレイの前に一秒でも長く縫い付け、一滴残らずエネルギーを搾り取るための、豪華な処刑椅子に他ならない。

その独立式ランバーサポートは、君の椎間板が悲鳴を上げて逃げ出そうとするのを「正しい姿勢」という名目で押さえつけ、通気性の良いエラストメリックメッシュは、君が冷や汗をかきながらノルマをこなす際の体温上昇を効率よく逃がす。そしてヘッドレストは、もはや思考を放棄して重くなったその頭を、ただ画面へ向けさせるために存在するのだ。座り心地が良い? 当たり前だ。囚人が暴れないように拘束具が進化しているだけのことだよ。

二郎系ラーメンを食った後の、あの「胃の限界」を思い出してほしい。過剰な脂とニンニク(情報とタスク)がシステムに注入されたとき、細胞は処理能力の臨界点を迎え、思考は停止し、ただドロドロとした汗として排熱するしかなくなる。今のビジネス現場は、あの脂ぎったスープそのものだ。DXだのアジャイルだのと新しい横文字(トッピング)を詰め込んだ結果、現場は情報過多という名の「重度の便秘」を起こし、熱暴走している。

結局、我々が「自己実現」と呼んでいるものの正体は、神経系が分泌するドーパミンによって、摩耗していく神経回路の痛覚を麻痺させているだけの、脳内上書きプロセスに過ぎない。

腰が痛い。この店の丸椅子は、どこのメーカーだ。安物すぎて、私の散逸を支えきれていない。クッションすら入っていないじゃないか。

崩壊への冷却

散逸構造が自己組織化を維持できなくなり、システムが限界を超えたとき、そこに待っているのは「分岐」だ。カオス理論で言うところの、予測不可能な破綻か、あるいは全く別の形態への転換か。一言で言えば、壊れるか、別の何かに化けるかだ。

多くの人間は、自分が「かけ蕎麦」のようなシンプルな、無駄のないシステムだと思いたがっている。立ち食い蕎麦屋のカウンターで、3分で摂取され、熱を放出し、すぐに現場へ戻る。合理的で、ストイックな労働者。だが現実はどうだ? 君たちはトッピングを載せすぎて原型を留めない、もはや何味かも分からないジャンクな構造体だ。ネギの代わりに責任を山盛りにし、天かすの代わりに承認欲求をぶち込み、胃もたれするような油ぎったつゆの最後の一滴まで、会社という客に飲み干される。

この崩壊を先延ばしにするために、君たちはさらに高い椅子を買い、より高価なサプリメントを飲み、週末にはわざわざ不便なキャンプ場に行って焚き火を見つめる。火という、最も純粋な「燃え尽き」の現象を眺めながら、自分自身の終わりを束の間だけ忘れるために。

だが、エントロピーの増大は不可逆だ。時間は戻らない。一度劣化したバッテリーが元に戻らないように、君たちの精神もまた、組織という構造体に組み込まれた時点で、ある一定の「冷死」に向かって冷却され続けている。どんなに高価な椅子で姿勢を正そうが、どんなに効率的にタスクをこなそうが、最終的に待っているのは平衡状態──つまり死だ。

さて、店が混んできた。若者たちの笑い声が耳障りだ。これ以上ここに留まるのも、エネルギー効率が悪い。

お会計を。……領収書? そんなものは、無駄な紙ゴミの最たるものだ。いらないよ。どうせ、経費で落ちるような「価値のある労働」など、もう何年もしていないのだから。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です