秩序の腐敗

熱力学的徒労と排熱の悪臭

組織が「事業活動」と称して日々行っているのは、外部から労働力と資本という名の生贄を貪り喰らい、内部に「負のエントロピー」という名の、見せかけの清潔さを保つための新陳代謝だ。イリヤ・プリゴジンが提唱した「散逸構造」だの、非平衡熱力学だのといった高尚な理屈を並べ立てたところで、現場の人間にとっての実態は、終わりのない「残飯の処理」に過ぎない。

毎朝、泥水のような不味いコンビニのドリップコーヒーで無理やり脳を覚醒させ、満員電車という名の家畜運搬車に揺られて辿り着くオフィス。そこでは、誰も読まない報告書や、責任回避のためだけに開催される会議が、莫大な熱量――つまり、君たちの寿命――を浪費しながら積み上がっている。秩序を維持するためには、同等以上の「汚れ」を外部に排出しなければならない。君が作り上げた美しいガントチャートの裏側では、誰かの胃壁が溶け、家庭が崩壊し、深夜のオフィスに漂う加齢臭とストレスが澱(おり)のように溜まっていく。

結局のところ、現代のホワイトカラーの仕事とは、情報のゴミを右から左へ移し替え、その過程で発生する摩擦熱で暖を取る、あるいは便所の落書きを装丁してファイリングするような、哀れな焚き火のようなものだ。

馬鹿みたいに。

脂ぎった散逸構造

組織の成長というのは、実に「ラーメン二郎」のトッピングに似ている。最初は純粋な空腹(利益への渇望)を満たすためのシンプルな「かけ蕎麦」のような構造だったはずが、いつの間にか「コンプライアンスの背脂」「ダイバーシティのヤサイ増し」「SDGsのニンニク」が、本質であるはずの麺(事業)を覆い尽くしていく。丼から溢れ出すのは、もはや食欲をそそる料理ではなく、管理コストという名のドロドロした乳化スープだ。

この吐き気を催すような肥大化を「効率化」するために、我々は思考を剥奪する電気の鞭、すなわちAIを導入した。AIが業務を最適化すれば、人間は自由になれる? そんな寝言は、宝くじの当選番号を夢想しながら、実際には擦り切れた硬貨でカップ麺を啜るような惨めな幻想だ。

AIという触媒は、散逸構造を単に加速させる。かつて1時間かかっていた無駄な資料作成が1秒で終わるようになれば、残りの59分59秒には、さらなる「高密度な無駄」が詰め込まれるだけだ。かつて電球が発明された時、人類は夜の闇から解放されると喜んだが、実際には24時間労働という地獄の門が開いただけだった。AIによる最適化は、労働を消滅させるのではなく、君たちの脳を、より高次元で、より不可視な「システムの排熱処理装置」へと改造する。

そうして我々は、この椅子のような、L字型に固まった脊椎を無理やり人間の形状に留めておくための拷問器具に縛り付けられ、情報の海という名の肥溜めを漂う。座面がヘタり、クッションが君の尻の形に変形する頃には、君の個性も、かつて持っていたであろう「野心」という名の弾性係数も、完全に死滅しているだろう。

摩耗する肉体の残響

このAIによる労働の散逸構造論において、最も冷酷なのは、人間の脳が「エネルギー効率の悪い不良品」として扱われ始めていることだ。創造性だの意思決定だのといった贅沢な機能は、システム全体から見れば、電力消費の激しいバグでしかない。

アルゴリズムが論理を支配する世界において、人間に残された最後の役割は「物理的な責任を取るための肉体」だ。AIが弾き出した最適解に従い、何らかの不具合が起きた際に、謝罪会見で頭を下げるための「生身の首」だけが必要とされている。スマホのバッテリーが劣化し、100%充電しても数時間でシャットダウンするようになるのと同じように、我々もまた、SNSの通知とスラックの着信音によって日々充放電を繰り返し、最大容量を確実に削り取られている。

「自由な時間ができたら、自分探しでもしようか」

その発想こそが、家畜化の完成形だ。隙間時間ができれば、君は無意識にスマホを手に取り、新たなエントロピーを生成するための餌を探し始める。熱力学的に、死こそが最大のエントロピー状態であり、究極の安定であるならば、この不毛な会議や、意味のないメールのやり取りこそが、死の静寂に抗うための、唯一の、そして最も無様な「生存の悪あがき」なのだろう。

帰りたい? どこへ。君が帰る場所もまた、別の大きな散逸構造の末端に過ぎないというのに。

店員、もう一杯だ。脳内の熱エントロピーをアルコールでかき混ぜ、この現実をノイズの中に溶かしてしまわないと、明日またあの椅子に座る勇気が湧いてこない。

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