前回、労働の自動化が人間の尊厳を奪うだのと、まるで自分が高尚な哲学体系の外側にいるかのような顔で嘆いていた連中の浅はかさには、ほとほと嫌気がさす。センチメンタルな感傷に浸る暇があるなら、現実を見ろ。我々が日々、オフィスという名の空調の効きすぎた檻の中で繰り返している「合意形成」という茶番こそが、真の意味で人間を摩耗させる数学的地獄であり、エネルギーの墓場だ。
会議室のドアを開けた瞬間に漂う、あの澱んだ空気を感じたことがあるか。あれは単なる二酸化炭素の滞留ではない。行き場を失った論理と、妥協の産物として排出された知的廃棄物が充満しているのだ。ホワイトボードの隅に残された、前回の会議の消し損ないのような「文字の死骸」。テーブルの上に放置された、誰のものともつかない冷めたペットボトル。そして、虚ろな目でプロジェクターの光を見つめる参加者たち。これらすべてが構成する空間は、幾何学的に見れば極めて歪な構造をしている。
「みんなの意見を一つにまとめよう」などと、居酒屋で酔っ払った係長が口にするような台詞を、真面目な顔をして信じているのは、情報幾何学的な視点が決定的に欠落している証拠だ。私に言わせれば、合意形成とは「確率分布の多様体」における、ただの勾配消失に過ぎない。個々の鋭利な知性が、集団という名のミキサーの中で互いに衝突し、摩耗し、最終的に何の味もしない灰色のペースト状になるプロセス。それを連中は「納得感」と呼び、安っぽい達成感に浸る。
馬鹿みたいに。
擦り合わせの虚像
組織論において頻繁に語られる「公共性」や「共通理解」という言葉は、まるで全知全能の神が与えた聖杯のように扱われるが、統計的なモデルとしてその実態を解剖すれば、単に複数のエージェントが保持する異なるパラメータを、一つの「平均値」に無理やり押し込める暴力的な圧縮プロセスでしかない。
わかりやすく言えば、これは食の好みが全く異なる人間同士でメニューを決める際の地獄に似ている。脂とニンニクと化学調味料が暴力的に融合した二郎系ラーメンを「全マシ」で食らいたいという強烈な欲求を持つ若手と、出汁の香りが微かに漂う上品なかけ蕎麦で胃を休めたい初老の役員。この二人の間に「夕食の最適解」という公共性を生み出そうとする行為が、いかに無謀かは直感でわかるだろう。しかし、企業組織ではこれを平然とやる。結果として出力されるのは、麺は伸びきり、スープは薄まり、具材は判別不能になった、誰の食欲も満たさない「何か」だ。
ここで重要になるのが「Fisher情報量」という概念だ。これは、あるパラメータ(意見や確信)が確率分布に対してどれだけの情報を持っているか、つまり「その意見がどれだけ鋭く、信頼に足るか」を示す指標である。本来、組織にとって有益なのは、Fisher情報量が最大化された鋭い意見のはずだ。しかし、合意形成という名の儀式においては、この情報量が邪魔になる。鋭い意見は多様体の曲率を急峻にし、平穏な「まとめ」を妨げるからだ。
だから彼らは削る。尖った角を丸め、毒にも薬にもならない「ごもっともな意見」へと劣化させる。付箋を使ったブレインストーミングなどという遊びで壁を埋め尽くし、「多様な意見が出ましたね」と満足げに頷くが、その実、そこで行われているのは情報の虐殺だ。誰もが不満を抱かないという、情報の感度が極限まで低下した「平坦な場所」を探す旅。スマホの画面に付いた指紋の汚れを気にする暇があるなら、そうやって会議のたびに摩耗していく自らの神経伝達物質の損失を数理的にモデル化してみるといい。
多様体の罠
情報幾何学の視点から見れば、社会的な意思決定はリーマン多様体上の測地線として描けるはずだ。論理的な整合性を持つ合意形成とは、本来、点A(現状の課題)から点B(解決策)へと至る最短経路の探索であるべきだ。しかし、現実の会議室という空間には「曲率」という厄介な罠が潜んでいる。
利害が対立し、社内政治が渦巻く公共の場では、この多様体はグニャグニャに歪んでいる。論理的には真っ直ぐ進めば解決するはずの道が、部長の機嫌、前例主義、あるいは「なんとなくの空気」という負の曲率によってねじ曲げられる。Aという方向に一歩進もうとすれば、見えない重力が働き、議論はあさっての方向へ飛ばされる。気づけば同じような議論を3時間も繰り返し、元の場所に戻っている。これが、役所の窓口や大企業の経営会議でよく見られる「無限ループ」の正体だ。
このノイズだらけの非ユークリッド空間で、自らの正気とパラメータを維持するのは至難の業だ。隣の席の同僚が刻む貧乏ゆすりのリズム、換気扇の低周波音、そして意味のない相槌の連鎖。あまりに公共の騒音がうるさいので、私は物理的に耳を塞ぐために、この静寂を強制する道具の購入を検討したのだが、その価格を見て思わず失笑した。かつてはただで手に入った「静寂」という権利を買い戻すために、これほどの対価をふっかけてくるとは。メーカーもよほど現代人の「情報の飢餓」と、我々が置かれている環境の劣悪さを理解しているらしい。だが、それほどのコストを払わなければ、この曲がった世界のノイズを遮断できないのだとしたら、それは現代の「合意」に対する一つの敗北宣言ではないか。
なんだこれ。バカバカしい。
熱力学の第二法則に従えば、閉じた系(組織)のエントロピーは増大し続ける。合意を形成しようとすればするほど、議論という名の「摩擦熱」が放出され、系の有効なエネルギーは枯渇していく。結局、我々が公共性と呼んでいるものは、情報の秩序を維持しているような顔をして、実際には莫大なコストをかけて宇宙の熱死を加速させているだけのシステムなのだ。
幾何学的な沈黙
我々が真に目指すべきは、全員が同じ方向を向くことではない。Fisher情報量が最大化された複数の局所解を、互いに干渉させずに共存させる「意思決定多様体」の設計だ。それぞれが異なるベクトルを持ちながら、全体として崩壊しないテングリティ構造のような組織こそが理想のはずだ。
しかし、今の社会は逆を行く。個別の鋭い意見を丸め、平均化し、最も情報量の少ない地点へと全会一致で向かおうとする。それは、最高級のステーキをミキサーにかけてドロドロの離乳食にし、全員でスプーンですくいながら「平等に美味いね」と言い合うような狂気だ。この「薄められた公共性」の先に待っているのは、情報の死、すなわち熱的な平衡状態だ。
脳科学的な観点から言えば、会議の終わりの「納得感」や「絆」といった感情は、報酬系回路による一時的なバグに過ぎない。数学的に最適化された解よりも、感情的に「なんとなくいい感じ」の着地点を選ぶのは、単に脳が複雑な計算をサボり、低コストな快楽に逃げただけのことだ。我々は「分かり合えた」という錯覚を、生存戦略としてプログラムされている哀れな猿なのだ。
帰りたい。冷めたフライドポテトのようにシナシナになった議論を聞くのはもう限界だ。
結局、公共性の幾何学を突き詰めていくと、最後に残るのは「沈黙」だけだ。合意形成とは、互いの情報の曲率を相殺し合い、ゼロに戻す作業なのだから。もし、貴君が明日もあの不毛な会議室に幽閉されるのなら、その時はFisher情報量の変化でもシミュレーションしているといい。同僚の退屈な発言が多様体の曲率をどう醜く歪めているかを観察する。それだけで、その不毛な時間は、少しだけ知的な娯楽へと昇華されるはずだ。もっとも、その分析結果を口にした瞬間、貴君というパラメータ自体が、組織という系から「異常値」として排除されるのは確定しているがね。
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