前回の講義――いや、あれは講義と呼ぶにはあまりに稚拙な、傷の舐め合いだったか。安酒場の喧騒の中、君は生温いジョッキを握りしめ、アルコールで鈍った頭で「それでも組織には公共的な使命がある」と繰り返していた。その瞳の輝きは、屠殺場へ引かれていく家畜が、飼い主に向ける無垢な信頼に似ていて、見ていて吐き気を催すほどに滑稽だったよ。
今日はその続きだ。君が信仰する「会社」や「組織」という巨大な構造物が、実際にはどのような数理的メカニズムで君の精神を摩耗させ、骨の髄までしゃぶり尽くしているのか。その残酷な幾何学を、感傷を一切排して記述してやろう。
泥沼としての公共性
まず、君が後生大事に抱えている「公共性」などという概念は、今すぐドブに捨てたまえ。事業体が「社会への貢献」を謳うとき、そこで行われているのは倫理的な活動ではない。システム全体のエントロピー増大に対する、必死の統計的な抵抗に過ぎないのだ。
組織を定義するならば、それは無数の構成員(エージェント)という名の「確率分布」が、相互に干渉し合いながら形成する一つの「統計多様体(Statistical Manifold)」である。社長の妄言から、君のような平社員の愚痴、果ては下請けの清掃員の溜息に至るまで、あらゆる変数が確率的に揺らいでいる。これらを自然状態のまま放置すれば、情報の散逸が発生し、システムは熱力学的な死(熱死)を迎える。
そこで経営者たちは「企業理念」や「社是」という名の、強力な拘束条件を導入する。これは、個々のエージェントが持つ情報の多様性や自由度を、無理やり一方向へ折り曲げるための「情報の重力場」だ。君たちが朝礼で社訓を唱和させられている時、君の脳内では何が起きているか分かるか? 思考の自由度という「ノイズ」を排除し、組織全体の計算資源を節約するための、極めてグロテスクなパラメータ調整が行われているのだ。
想像してみたまえ。床が脂でヌルヌルと滑る二郎系ラーメンの店内を。あそこで飛び交う「ヤサイニンニクアブラマシマシ」という呪文は、人間の複雑怪奇な食欲や好みを、店側が処理可能な極めて限定的な離散データに圧縮するためのプロトコルだ。客は個性を剥奪され、ただの「注文データ」としてベルトコンベアに乗せられる。その光景を「阿吽の呼吸」などと美化するのは勝手だが、実態は、個体の欲望をシステムが消化しやすい形にミンチにしているに過ぎない。組織の公共性とは、まさにこの床のヌメリのようなものだ。君の足を滑らせ、逃げ場をなくし、強制的に同じ方向を向かせるための、不潔な接着剤なのだ。
腰が痛い。
幾何学的隷属と肉体の腐敗
甘利俊一氏が拓いた情報幾何学の視座を借りれば、組織における意思決定とは、フィッシャー情報行列によって計量される空間上の「測地線(Geodesic)」を辿る運動であるとされる。だが、そんな高尚な表現に騙されてはいけない。この「測地線」の実態は、君たちが毎朝、満員電車という名の加圧器で押し潰されながら、オフィスという名の檻へ向かう、あの惨めな通勤経路そのものだ。
現代の経営層が、なぜこれほどまでにAI――あのシリコンでできた操り人形たち――の導入に躍起になるか理解できるか? それは、彼らが「感情」という名の摩擦係数を持たないからだ。彼らはカルバック・ライブラー情報量を最小化することだけに特化し、組織の意図と自己の行動の乖離をゼロにするため、最短経路を直進する。そこには躊躇いも、疲労も、虚しさもない。
それに引き換え、君という有機体はどうだ。「モチベーション」だの「やりがい」だのという、計算不可能なノイズを撒き散らし、情報の伝達効率を著しく低下させている。だからこそ、組織は君の肉体を物理的に固定しようとするのだ。
君がローンを組んでまで購入した、あのハーマンミラーのアーロンチェアを見たまえ。30万円近い価格は、決して君の座り心地や健康への対価ではない。あれは、君という不安定な確率変数を、組織という多様体の特定座標にピン留めするための、極めて高価な「拘束具」のレンタル料だ。脊椎を理想的なS字カーブに固定され、高機能メッシュ素材に尻の汗を吸われながら、君は画面の中の数字を操作する。その椅子の上で費やされる人生の時間は、果たして君のものか? いや、君はその椅子の部品の一部として機能しているに過ぎない。生活残業で必死に稼いだ端金を、資本家が推奨するその椅子に再投資し、さらに効率よく搾取されるための準備を整えている。その滑稽さは、自分の首を絞める縄を編むために残業している死刑囚と何ら変わりがない。
馬鹿みたいに。
確率の檻と放電
組織が高度化し、洗練されるほど、そこには「個人」という特異点は許容されなくなる。よく「風通しの良い職場」という言葉を耳にするだろう。あれは自由エネルギー原理の観点から言えば、最悪の監獄だ。風通しが良いということは、情報の隠蔽が不可能であるということだ。君の行動、成果、そして失敗のすべてが、常にフィードバックループの中に曝され、修正を強要される。そこには、陰でサボる自由も、個人的な感傷に浸る隙間も存在しない。
君が明日もまた、会社という名の多様体の中で「最適な軌道」を歩もうと努力するなら、まずは自分の意志という名の誤差項(エラー・ターム)を削ぎ落とすことだ。だが、有機的な肉体はそれを許さない。スマホのバッテリーが経年劣化で膨張するように、人間もまた、組織という高電圧な回路の中を往復するうちに、内部抵抗が増大していく。熱を持ち、思考が鈍り、やがて放電すらできなくなる。世間はそれを「燃え尽き症候群」などと文学的な言葉で飾るが、物理的に言えば単なるエネルギー変換効率の低下だ。劣化した電池は交換されるか、廃棄される。それだけの話だ。
さて、もう一杯頼もうか。この居酒屋というシステムもまた、我々のアルコール血中濃度というパラメータを、売上という期待値に収束させるための、精緻な搾取装置なのだから。グラスの底に残った水滴が、まるで君の涙のように見えてくるよ。
なんだこれ。帰りたい。
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